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「いきる」(8月:小林 淳 相談員 )

現役のサラリーマンの健康と命を支える産業医、すべての人間をサポートする臨床医、皆の未来を支えようとする研究医、いろいろな役割があります。そのような役割を少しずつ受け持って歩いてきました。もうちょっとで還暦です。お年寄りの体力が10年若返ったとニュースで話題になっていますが、そのようでありたいものです。
 生命あるものすべてが限りある「生」を楽しめるチャンスを一回だけ与えられ、「いきる」ことを本能から欲しています。あるものは一回限りの命にしがみつき、あるものは静かに朽ちていく運命を受け入れていく... どちらも素晴らしい生き方です。誰かのために生きる、誰かのために犠牲になっても笑っていられる、これは自分の生き方でOKです。その反対で、誰かの意向によって当人の生と死の運命がきめられていく... これには一抹の違和感が伴いますが、現実に医療の現場では起きていることです。
 元気だった頃に「誰にもなんにも」話題にしていないと、いざ体調を崩して動けない、喋られない、飲みこめない...と多数の障害を抱えてしまったとき、道を選ぶ主人公はあなたではなく、配偶者や子供などの親族にスイッチされます。車に例えると、運転席から後部座席に移された感じになります。アクセルもブレーキもハンドルにも手も足も届かなくなります。それを楽しめればよいのですが、苦しいドライブになることもあります。
 急性期の病院では「フルコース」という言い方あり、医療チームが頑張るほどプラスチックのパイプや管の本数が増えていくのは、30年前も今も変わらないと思います。その一方で救命医療でも病状によっては手を引くという選択肢の提示もあるようです。
 安定期~慢性期では誤嚥傾向などで経口摂取ができなくなったとき、消化管に「くだ」を通して栄養をいれる、点滴する、誤嚥と共存する、静かに経過をみる... 色々な対応があります。私たちが日夜関わっている領域ですが、今後は在宅で...という方針のようです。
 厚生労働省は「元気だったころの本人の言葉を尊重して、医療チームと家族で十分な話し合いをして当人の終末期のあり方を決めたほうがよい」旨の発信をしています。また最近、日本病院協会では「『尊厳死』-人のやすらかな自然な死についての考察-」との題名で「高齢、寝たきりで認知症が進み、周囲と意思疎通が取れない」「がんの末期で生命延長を望める有効な治療がない」など六つの事例を列挙し、それらに当てはまり、複数の職種による医療チームが「根治できない」と判断した場合には、延命措置の差し控えや中止など「患者に苦痛を与えない最善の選択」を家族らに提案する、としており、一歩進んだ踏み込み方が始まっていますが、その対応には相当時間がかかりそうです。
 いずれにしても、元気なうちに「こうしてほしい」「これはしてくれるな」とはっきり配偶者や子供たちに繰り返し意思表示をしておくということが、大人の責任だと思う今日この頃です。これこそ働く現役世代に伝えたいメッセージです。
 

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